近年、「ウエルビーイング(well-being)」という言葉を聞く機会が増えています。人々の幸福に資するものという意味合いを含み「福祉」と訳されることもあります。これまで”豊かさ”は国内総生産(GDP)の増加を指標として評価されていましたが、健康などのウエルビーイングについてはGDPにおいて十分に考慮されていません。そこで、人の幸福に資する包括的な富を加味した指標「IWI (新国富指標: Inclusive Wealth Index)」が使われ始めています。
SDGsの進捗を測る指標として期待されるIWI(新国富指標)
SDGsで示されるような『開発』を適切かつ持続的に進めるためには、多様な経済モデル・政策ツールが必要になります。取り組みを総合的に評価し、取り組み内容と目標の見直しという一連のプロセスが非常に重要となるのです。そこで総合的に評価する方法として、国連が採用したのが、ノーベル経済学賞受賞者のケネス・アロー氏、英国発表したダスグプタ報告書のパーサ・ダスグプタ氏らによって開発された「IWI (新国富指標: Inclusive Wealth Index)」です。このIWIは国や都市の総合的な豊かさを、「人工資本」「自然資本」「人的資本」の3つの指標でストックとして数値化して測定しようとしています。
日本では「SDGsを原動力とした地方創生」が「第2期まち・ひと・しごと総合戦略」で掲げられ、各自治体では持続可能なまちづくりとSDGsの達成を共に実現しようとしています。新国富の考えを参照すれば、1人当たりの平均的な富が増加すればSDGsは持続可能なものとなり、減少すればSDGsは持続不可能なものとなると考えられます。
図1はIWI(新国富)が想定する経済フローとストックを示しています。IWI(新国富)と福祉は、ストックとフローの関係にあり、富が福祉を生み出しています。
まず、ある社会における毎年の生産活動に富が使われます。この富は、工場や機械などの人工資本、森林や農地の自然資本、教育や健康の人的資本の三種類のストックで構成され、生産活動に用いられることでフローを創出します。
自治体や企業で活用されるIWI
自治体がSDGs達成をはじめとする事業の実施時に必要となるものが、地域の住民が納得を得られる説明と事業の効果を測定するための何らかの物差しです。そこで新国富指標の採用が広まっています。
九州大学都市研究センターでは、IWI(新国富指標)を活用し福岡県久山町や宮若市、直方市(共に福岡県)といった地方自治体と共同でまちづくりを進めています。(表1)
表1 IWI(新国富指標)を活用する自治体
宮若市では、2020(令和2)年の「第2期 宮若市まち・ひと・しごと創生総合戦略」の基本目標Ⅳ「持続可能で元気な地域社会の形成」の数値目標として「新国富指標における市民1人当たりの資産額:3,100万円(H27年度)→3,255万円(R6年度)」を設定しました。直方市でも2021(令和3)年度からの「第6次直方市総合計画」において活用されています。総合計画に生かされるのは全国初の試みです。
企業活動においては、例えば人的資本についての活用がなされています。従業員の幸福は、重要な経営資源の一つであり、企業活動を把握する上での重要な指標の一つです。企業向けには『はたらくをよくする®』支援事業を展開するピースマインド(株)(東京都中央区)と、九州大学都市研究センターが共同研究し、企業活動を担う「はたらく人」(従業員)のメンタルヘルスの状態を人的資本として数値化し企業価値を測る指標を開発。企業の持続性を高めるストレスおよびメンタルヘルス対策のあり方と効果を提示していくプロジェクトを開始しています。
企業が求められるESG開示
近年、企業においては環境・社会・ガバナンス(Environment, Social, and Governance: ESG)への取り組みが求められていることは、皆さんご存じでしょう。グローバルな株式市場では、投資家の在り方も変化し、このような観点を重視するサステナブル投資に向かっています。
サステナブル投資の問題点として、一般の株式や債券への投資と比べて情報収集が難しいことがあげられます。また、幅広い投資家や企業による理解を得るための基準や方法についてもまだ発展途上です。一方で関心の高まりから、企業情報開示規制や受託者責任、投資の適格性、ESGリスク管理など、情報開示項目の公表が社会的に求められます。例えば、気候変動への財務的影響を把握し情報開示するための枠組みとして設立された「気候関連財務情報開示タスクフォース(Task Force on Climate-related Financial Disclosures: TCFD)」は、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標と目標」の4分野を柱とした任意開示フレームワーク(TCFD提言)を推奨しています。2021年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは、プライム市場上場企業に対してTCFD提言に準拠した情報開示を求めているます。また、2022年には、自然関連財務情報開示タスクフォース(Taskforce on Nature-related Financial Disclosures: TNFD)が、自然関連リスクの管理および開示のためのフレームワークのベータ版を公表しています。
サステナブル投資と新国富は、現在の富(=財務リターン)と将来の富(=社会的なプラス)を追求するために相互に関連しており、共に社会的・環境的要因を配慮した長期的な経済的繁栄を目指しています。持続可能で社会的責任を果たす企業へのサステナブル投資が増加することは、新国富を増加させることにつながります。
人権など見えないものを定量化
これまで非財務資産であった人的資本や自然資本の軽視は企業にとってのリスクとなっています。
人権を軽視し非常に大きな損失を受けた企業がありました。1997年に発覚したアメリカの大手アパレル企業の強制労働・児童労働問題です。委託先のインドネシアやベトナムの工場での長時間労働や児童労働が発覚し、世界的な不買運動が起こりました。これによる損失は1兆4000億円にも上るとされています。ほかにも、2013年にはバングラデシュでは、世界のアパレルからの下請け工場が複数入った違法建築ビルの崩壊事故で1100人を超える死者を出しました。低賃金、劣悪な職場環境、強制労働……、これらは金銭的な損失だけではなく、人命という重要な人的資本を失うことになってしまいました。
鉱山でも児童労働問題は起きています。例えば、コンゴ共和国では、コバルトや金、スズ鉱石などの鉱物資源の採掘に子どもたちが強制労働を強いられているとアメリカ労働省の児童労働の報告書「児童労働の最悪の形態に関する調査」で述べられています。
国際児童基金(ユニセフ)と国際労働機関(ILO)が2021年に発表した報告書「児童労働:2020年の世界推計、傾向と今後の課題」では、5歳から17歳が、林業や鉱業、機械整備など39の危険な産業や職業への従事や週43時間以上の長時間労働を行うことを児童労働と定めています。そして、世界中で児童労働に従事している子供たちの数が2020年初頭には、推定1億6,000万人(女子6300万人、男子9700万人)と報告しました。さらに、児童労働に従事する5~11歳の子どもの数が、総数の半分以上の8930万人を占めると指摘しています。
人権問題のみならずESGに取り組まないことは、企業のリスクに直結します。日本でも2023年3月決済以降、金融商品取引法における「有価証券報告書」を発行する大手企業を対象に人的資本の情報開示が義務化されました。
製品やサービスにおいてサプライチェーンを遡ってESGの取り組みが求められ、組織全体においても自然資本経営、人的資本経営の重要性が増している中で、留意するべき点は多岐に渡り、自社だけで目配りすることには限界があるでしょう。そこで、データに基づき定量的に資本への影響も含めたESG分析を行うことで、事前にリスクを回避することが可能になります。
地域の社会関係資本の向上に資する行政サービスやプロジェクト、そして企業における非財務情報について新国富指標による価値評価を行うことによって、根拠を示した政策形成や企業環境を推し進めることが可能になるでしょう。
aiESGでは、サプライチェーンを遡ったESG影響の分析、IWI(新国富指標)による分析、自然・人的資本経営への活用のための資本影響分析から、分析に基づく非財務情報の開示に至るまで、サポートいたします。
ESGに係る情報開示や規制対応、自然・人的資本経営のための数値化にお困りの企業様はぜひお問合せください。
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Bibliography (参考文献)
Managi,S.and Kumar,P.(2018)“Inclusive Wealth Report 2018:Measuring Progress Towards Sustainability”, Routledge.
(https://www.taylorfrancis.com/books/e/9781351002073)
日本語での紹介は、馬奈木俊介(編著)『豊かさの価値評価-新国富指標の構築』中央経済社, 2017年を参照。
内閣府地方創生推進室,2020,地方創生に向けたSDGsの推進について,p.20
(https://future-city.go.jp/data/pdf/sdgs/sdgs_ bk.pdf)
Dasgupta, P., A. Duraiappah, S. Managi, E. Barbier, R. Collins, B. Fraumeni, H. Gundimeda, G. Liu, and K. J. Mumford. 2015.“ How to Measure Sustainable Progress”, Science 13(35):748.
合同会社経済研究所, 2020, 持続可能なコミュニティの共創に向けた取組みの推進・展開のあり方に関する調査,p131.
Organizzazione internazionale del lavoro, & UNICEF. (2021). Child labour: Global estimates 2020, trends and the road forward. ILO and UNICEF.
(https://www.ilo.org/wcmsp5/groups/public/—ed_norm/—ipec/documents/publication/wcms_797515.pdf)
*関連ページ*
Report 一覧 : 規制/基準
https://aiesg.co.jp/report_tag/基準-規制/
【解説】G20 T20 India2023 新国富指標を用いた包括的な国富の成長測定に関する政策概要について
https://aiesg.co.jp/report/20230530_t20india_report/
【解説】TNFDとは?金融と自然環境の新しい架け橋
https://aiesg.co.jp/report/230913_tnfdreport/
【解説】アルファベットスープ 〜サステナビリティ基準の乱立と収斂〜
https://aiesg.co.jp/report/2301226_alphabet-soup/