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本記事は、株式会社aiESG代表であり、九州大学主幹教授である馬奈木が共同執筆したレポートの日本語解説です。本レポートの要約は、今月刊行されたアジア開発銀行の『アジア債券モニター』(Asia Bond Monitor)の最新号に「ASIA BOND MONITOR JUNE 2025 Emerging East Asian Local Currency Bond Markets: A Regional Update」に掲載されています。
概要
アジア開発銀行は、アジア・太平洋における経済成長を支援し、開発途上加盟国の経済発展に貢献することを目的に設立された国際開発金融機関です。我々は、ここで「ディープラーニングが明らかにする:東アジアおよび東南アジアの主要企業における環境・社会・ガバナンス(ESG)の重点」(Unveiled by Deep Learning:The Environmental, Social, and Governance Emphasis of Leading Companies in East Asia and Southeast Asia)を発表しました。
東アジアおよび東南アジア8カ国の主要企業が企業報告書においてESG(環境、社会、ガバナンス)課題にどのように取り組んでいるかを詳細に分析しています。高度な自然言語処理(NLP)と人工知能(AI)ツール、特に「事前学習済みトランスフォーマーのマッチング」(Text Match Pre-Trained Transformer:TMPT)モデルを駆使することで、多言語・多文化環境におけるESG報告のギャップを埋め、大規模な非構造化テキストデータから企業のESG重視点を「見える化」することを目的としています。
調査対象となったのは、中華人民共和国(PRC)、日本、韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの証券市場で最大の時価総額を持つ293社から収集された480の年次報告書および統合報告書です。分析の結果、全体として、企業は環境や社会のトピックよりも、経済やガバナンスのトピック、特に経済的波及効果、生産コスト、ガバナンスリスクに重きを置いていることが明らかになりました。
レポートの背景・目的
近年、投資家は企業業績を評価する上で、環境の持続可能性、社会的責任、ガバナンスの質に関する情報にますます注目しています。ESG要素は企業の戦略と報告の重要な構成要素となっていますが、特に多言語・多文化の環境において、企業がこれらのトピックにどのような重点を置いているかを理解することは依然として限定的でした。
欧州委員会(2022)によると、多くの市場参加者がESG評価を利用しているにもかかわらず、ESG評価市場は十分に機能しておらず、評価方法論の透明性の欠如や偏りが問題視され、様々なESG評価間の相関が低いという懸念が示されています。
その背景を踏まえ、このレポートでは、ESG報告のギャップに対処することを目的としています。本研究は、吉田ら(2024)が先行研究で従来のESG評価の一貫性と信頼性に疑問を呈したこと を踏まえ、厳格な画一的なスコアリングシステムを課すことなく、ESG関連の議論をニュアンス豊かに評価するアプローチを提供しています。これにより、多様な企業のESG戦略と開示慣行をより深く理解し、その実態を明らかにすることが本レポートの重要な目的です。
分析詳細
本研究の中心にあるのは、TMPTと呼ばれるAIおよびディープラーニングモデルです。
1.データ収集と対象範囲
- 対象企業・地域: 中華人民共和国(PRC)、日本、韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの証券市場で最大の時価総額を持つ293の上場企業が対象となりました。
- 報告書: 2024年発行年次報告書を含む、480の年次報告書および統合報告書が収集されました。
- 言語: 報告書は英語および各現地語(利用可能な場合)で収集されました。
- ESGトピック: 人権、労働環境、ガバナンスリスク、温室効果ガス排出量など、13のESG関連トピックが分析対象とされました。
2.TMPTモデルの仕組み
- 学習データ: TMPTは、Wikipediaや学術研究からの膨大な多言語テキストを用いて訓練されています。
- 分析プロセス: 各企業報告書は、気候変動、人権、雇用創出といった13のESGトピックのリストと照合されます。報告書は小さなセクションに分割され、各セクションがこれらの課題をどの程度議論しているかを確認し、各企業に各ESGトピックに対する重視度を示すスコアが与えられます。
- 特徴: このモデルは、事前定義された分類法に頼ることなくESGコンテンツを検出するためのスケーラブルで多言語対応のアプローチを提供し、言語および国の文脈を超えたより一貫した比較を可能にします。
- 性能: 5億1900万を超える調整可能な設定を持つこのAIツールは、約90%の精度でESGコンテンツを正しく識別しました。英語、中国語、日本語など、より多くのトレーニングデータが利用可能な言語で最も効果を発揮しました。
3.言語間の一貫性分析
- バイリンガル報告書を持つ163社のうち、中国、日本、韓国の報告書は、英語版との高い整合性を示しており、ESGメッセージの効果的な翻訳と標準化が示唆されました。
- 一方で、タイ語とインドネシア語の報告書では、英語と現地語版の間でより顕著な不一致が見られました。これは、翻訳慣行や現地語でのESGリテラシーの不足が原因である可能性があり、またこれらの言語におけるESG関連コンテンツの希少性がTMPTモデルの十分なトレーニングを制限した可能性も指摘されています。
まとめと考察
本研究の分析は、東アジアおよび東南アジアの主要企業におけるESG開示パターンに関する貴重な洞察を提供しています。
1.全体的なESG重視パターン
- レビューされたすべての報告書において、企業は環境や社会のトピックよりも、経済およびガバナンスのトピック、特に経済の波及効果、生産コスト、ガバナンスリスクをより強調していました。
- 国内の雇用創出や労働環境といった社会的なトピックも注目されましたが、鉱業、消費、温室効果ガスなどの環境トピックは中程度の注目度でした。
2.国・地域別の主要な傾向
- 中国: 報告書は経済トピック(例:波及効果、生産コスト)に強く焦点を当てており、これは2023年の新型コロナウイルス感染症後の経済回復への中国の注力と一致しています。
- 韓国: 報告書は、労働環境や温室効果ガス排出量などの環境および社会トピックに最も重点を置いていますが、市場内でのばらつきも大きいとされています。
- 日本: 報告書はバランスの取れた焦点を反映しており、特に雇用創出や労働環境といった社会面に最も重点を置いていました。
- インドネシア、マレーシア、フィリピン: これらの経済圏では、報告書は一般的にコミュニティ関連の問題や人権により重点を置いていました。マレーシアは特にガバナンスリスクを強調し、フィリピンは水管理に焦点を当てていました。
- シンガポール: 年次報告書の焦点は経済トピック、特に雇用創出に傾いていました。
- タイ: 報告書は、ほとんどのトピックで地域平均に近い、比較的バランスの取れたプロファイルを示しました。
- 市場内のばらつき: 市場レベルの傾向は識別可能である一方で、各経済圏内での顕著なばらつきも観察されました。例えば、韓国企業は環境および社会問題への重点度において大きく異なります。
3.政策的含意
- AIの有用性: 本研究は、AIが言語や経済圏を超えた微妙なESG報告パターンを理解する上で非常に有用であることを示しています。これにより、従来の単一尺度評価に代わる価値ある選択肢が提供されます。
- 開示への影響要因: 国の優先事項、規制環境、文化的要因がESG開示に与える影響も強調されています。例えば、中国企業が経済的要因を強調していることは政府の経済安定化への推進を反映し、韓国企業の社会・環境テーマへの関与は社会的圧力と大企業の影響を反映しています。東南アジアにおけるコミュニティ関連の開示は、地域の開発課題を反映している可能性があります。
- AIモデルの限界と課題: AIモデルが言語的に不均等なデータで訓練されていることによる限界が、経済圏間のESGの理解とコミュニケーションの格差を悪化させる可能性も指摘されています。これは、ESG教育における能力開発と、表現が少ない言語におけるデータ可用性の必要性を示唆しています。
- 統合報告の価値と課題: 統合報告書の発行数は増加傾向にあり、透明性を高め、ステークホルダーとの関与を強化することができます。本研究は、統合報告書の標準化と比較可能性の欠如という主な限界に対処し、企業戦略を説明するナラティブを持つ統合報告書の実際の価値を高めています。
- 今後の提言: 規制当局と企業は、透明性とコーポレートガバナンスをさらに向上させるために、統合報告書を含む多様なコミュニケーションツールを採用し、タイムリーな開示慣行を促進すべきです。小規模・中規模企業にとって、統合報告書の発行や英語への翻訳は費用がかかるため課題となることが多いですが、開示とコミュニケーションの形式にかかわらず、先進技術は、ステークホルダーの様々な環境的・社会的利益とともに、企業の事業戦略を評価する方法を提供することができます。
本レポートの研究手法は、株式会社aiESGが提供するサービス「aiESG for IR」でもご提供可能です。株式会社aiESGでは、ESG指標の整理から企業ごとの具体的な支援まで、包括的なサポートを提供しています。ESGに関する情報開示や実務でお困りの際は、お気軽にご相談ください。
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